「おれはしゃべりたいんだ。しゃべってこの想いを伝えたいんだ。なのに…,どうしてこの世界では,こんな猿ぐつわをはめていなくちゃいけないんだ!」
プレイヤーの声を認識するゲームの普及は,1999年ゲーム界の最大の話題のひとつだ。任天堂の「ピカチュウげんきでちゅう」やセガの「シーマン」がヒットした。パソコンでもいろいろなゲームが見られるようになったが,わざわざ音声認識にしなくてもいいというソフトが多い。今後,声を使うことで楽しさが飛躍的にアップするゲームを期待したい。たとえば女の子に声をかけて口説いていく恋愛シミュレーションゲームなど,そう遠くないうちに登場してもおかしくはない。
我々はワイヤードで,どこまで自らをメタファライズできるのか。たとえば基本となる,感情表現,意思伝達において。我々は,文字でしかそれを伝えることができない。メールにしても,チャットにしても,ホームページにしても,これだけ文字があふれているのに,声を聞くことはできない。誰も,声を発することはできない。ワイヤードでの我々のメタファライズレベルは,唖(おし)でしかない。
人はこれだけリアルで話し好きなのに,誰がワイヤードで猿ぐつわをはめたのか。ゲームでも,少しずつその猿ぐつわを外す作業が進められている。ワイヤードでもボイスチャットなどで同様の動きがある(過去記事6/23)。Mac OSに音声認証が加えられたのも記憶に新しい。あとは,我々が,自らの手で,猿ぐつわを外せばいい。デジタルのレベルの向上は,_自由_を得るために,あるんだから。
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